ゆーちゃんの受験日記

大学受験についてたんたんと書きます

誰やねん大学生は遊んでるとか言うてるやつ

この言葉はとある東大生が勉強に追われて思わず発した言葉である.

 

コロナ禍において各大学生は自粛,オンライン授業を余儀なくされ,まもなく1年の4分の1を終えようとしている.未だにクラスメイトと会うことは実現しておらず,「画面の向こうの友達」がどんどん増えていくような感覚である.

最近,「困窮する大学生バイト先休業 遠隔授業で思わぬ出費」といったコロナによってバイトが休業になり,金銭的に追い詰められた記事が多く見受けられる.こういう記事が投稿されると決まった."バイトを選ばなければ仕事はある""甘えたことを言うな.普段遊んでばかりなのに"といった意味のわからないまるで議論にならない論争が繰り広げられている.バイトを選ばず仕事を入手してその結果としてコロナになったらあなたが責任を取ってくれるのか,とか配送業をあなたは提案したがそのための免許代は誰が持ってくれるのか,自分の税金を使うなと言っているがお前の税金の1番の使いみちは大学ではなく年金だ,とかグチグチいいたい気持ちもあるのだが,ここでは後者のリプライについて焦点をあてたい.

まずこの記事の焦点は,大学生への補助金ではない.もちろん1大学生として,そして東京に高い家賃を払いながらも住めていない現状をふまえて,10万円貰えたらこれ以上助かることはない.国公立大学の学費は異常だとかそういうのも言いたいが金の話をしたいわけではない.この国に蔓延る「大学生は遊んでいる」という言説に物申したい.いや,正確に言えば,上のようなまるで議論にならない戯言を言っている人たちの意識の根底に「大学生は遊んでいる」というものが染み付いていると考えられるため,まずそれを取り払いたい,と思ってこの記事を書いている.

今回僕が考慮する大学生というのは,スキマ時間に辛うじてバイトもできて勉強もしている(きた)大学生である.その意味で俗に言うFラン大学生とかははっきり言って大学生とこの記事では定義しない.そもそもそのような人たちは毎月遊びで10万ぐらい使ってそうだし(偏見),しっかり自粛していれば遊びの分金が浮くだろう.もし自粛せずに金が足りないとか言ってるのならばただのアホだ.これらは完全な偏見だが,「大学生」と主語が大きくなってしまうがための再定義であると思ってもらいたい.

一般にスキマ時間にできるようなバイトは第三次産業でも特に生活に必須,すなわち配送業や警備といったバイトではなく自粛しようと思えば自粛できてしまうバイトである.このようなバイトは代替を探すのが非常に厳しい.みんな同じような理由で代替を探すのに企業側は自粛せざるを得ないからである.

幸いにもこの春から東大に入学できたため,現在はオンラインであるが東大の教育を受け,日々の課題をこなしている.東大の1年目のカリキュラムは必修授業が詰まっており,1年生はALESS/Aをはじめ,様々な重い課題に悲鳴をあげながら来る進振りに向けてテスト勉強もしなければならない.友達の京大,阪大生,そして残念ながら東大に落ちてしまい,慶應や神戸大,その他に進んだ友達など,僕の周りの大学生も程度の差はある程度あれ,毎日課題ないし大学の勉強に励んでいる.

彼らが金銭問題に直面しているかどうかは横に置いておいて,確かに勉強している.日本の大学生は勉強しないという言説が流布している.これに反論するわけではないし,言ってしまえば反論出来ないだろう.ただ,「大学生」は勉強せずに遊んでいるというのは誤りである.どのような集団,これが国レベルであろうと学校のクラス単位であろうと,それを引っ張るのは一部の優秀な人材ではないだろうか.このような人材の育成を目的とするのが本来の大学である.4年制大学の学歴が,とかそういう問題ではない.ものつくり大国であった日本を邁進させてきたのは優秀な若者らであり,衰退しつつあるこの国で大学生を蔑ろにして,お前らどうせ遊んでるやんとか言うのは問題がある.

高校から一気に自由度が跳ね上がりながらも自分を律して勉強し,これから国を支える産業を立ち上げたり,既存の産業を更に発展させるような若者の芽を摘むようなことはできるだけ避けるべきであると考える.ましてや本人たちは勉強しているのに遊んでいるなどと言われてしまえば萎えてしまう.もちろんバリューの生まれない行動を貶されるのは仕方ない部分はあるが,勉強はこれに値しないし,誰だって真剣にやっていることを真剣にやっていないように言われればやる気をなくすだろう.

よって大学生は遊んでいる,という言葉は負の効果しか産まない.世間一般に言う「大学生」に遊んでいる人がいるのはもちろんであるが,これからは大学生とは言わずにこの言葉が正しいかわからないがアホの大学生と言えばよいのではないだろうか.